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3月, 2016の投稿を表示しています

2015年度も最終日を迎えました。

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2015年度も最終日を迎えました。 ちょうど異動の時期でスタッフがやや手薄ではありますが、救急事案はかわらず発生するものであり、この2日間でドクターヘリ11件、ドクターカー2件、そして多くの救急搬送に対応しています。 ちなみに最終日も救急外来、集中治療室には、翌朝まで4人の集中治療科・救急科が院内で勤務しており、24時間眠らない救急医療を行いながら新年度を迎えようとしています。 今年度を振り返るにはいろいろな形があると思いますが、せっかくのブログ上であるので年末に引き続き「ブログアクセス数ランキング」で簡単に振り返ってみようと思います。 ☆第1位 『初心を忘れない!~新たに女性フライトドクターが誕生しました。~』 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_12.html ★第2位 『ご冥福をお祈りいたします。~ヘリコプター墜落事故対応~』 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2015/11/blog-post_25.html ☆第3位 『8人目のフライトナースの誕生です!』 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2015/12/8.html ★第4位 『また大型バスの悲しい事故が起きてしまいました。~碓氷バイパス大型バス事故~ 』 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_15.html ☆第5位 『"Learn More and Challenge Again" ~ECMO修行のイギリス留学~ 』 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2015/09/learn-more-and-challenge-again-ecmo.html やはりドクターヘリや災害医療に関しては当院の注目度は高いことがわかりました。そして積極的に海外での修行と前橋日赤救命救急のアピールを行う環境も整ってきています。なによりも若手の活躍が注目されていることもとても良い傾向だともいます。 逆にそれだけ皆様の期待にお応えできるようにより一層頑張っていかないといけないですね。 いよいよ明日から新年度・・・ お別れ

これからが本当のスタートです!~平成27年度医師臨床研修修了式~

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昨日3月29日に「平成27年度医師臨床研修修了式」が行われ、当院初期研修プログラムを修了した11名の2年目初期研修医が巣立ちの時を迎えました! 毎年4月に入ったばかりの1年目に頼りなさを感じつつ、2年もたつと一緒に当直しているときの堂々とした姿に本当に驚くばかりです。2年ぶりにみた初期研修医のスーツ姿がとても凛々しく感じましたよ。 しかしながら、初期研修医が終了したことは「ようやくスタートラインにたった」のと同じです。 これからはいよいよ自分の責任のもとで決断や行動を起こさなくてはいけない機会がずっと増えていきます。 巣立ちを迎えた初期研修医に向けて中野院長が二つのプライドについて語っていました。 前橋赤十字病院で初期研修医を行ったことにプライドを高く持つこと、そして、このさき失敗などにぶつかったときに他のスタッフに頭を下げられるようにプライドを低く持つこと・・・ これから先の皆さんの活躍をとても楽しみにしているとともに。同じ土俵に立って患者さんのために頑張っていきましょう! 尚、当科の星野先生も初期研修に引き続き当院で後期研修3年間を行い、日本赤十字社より後期研修修了書の授与がありました。 夜は研修修了の祝賀パーティーが開かれ、研修医を支えた多くの指導医が集まりました。 なんと研修医の11名のうち7名が4月から当院で勤務をするとのことでした。もちろん新天地に旅立つ4名の活躍も心から祈っているとともに、またいつでも当院に来てほしいと思います。  前橋赤十字病院 第11期初期研修医のメンバー 1年目の初期研修医に引継ぎです! メンター長の指導医とともに! 2次会も行われ、夜遅くまで話が尽きませんでした。

高橋先生、櫻澤先生、原澤先生、田中先生、ありがとうございました。~2015年度 集中治療科・救急科 送別会~

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今年度末は、長い期間にわたって前橋赤十字病院 高度救命救急センターを支えてきた先生方とのお別れがあります。 救急医療・災害医療・集中治療などいまの集中治療科・救急科スタッフが活躍する場面を作り上げていただいたことへの感謝と、新天地でもますますご活躍することを願って、ささやかでありますが「集中治療科・救急科 送別会」を開催しました。 高橋先生は、中野現院長とともに当院の救命救急センターたちあげの時からご活躍されており、いまでも災害医療や各コースなどで「マネージメント」の真髄をご教示いただきました。 桜澤先生は、まだ当科スタッフが少人数で運営していたときに週末ICUでご指導いただき、常勤になってからも多くのことを教えていただきました。 原澤先生は、持ち前の冷静な心でいつも若手スタッフの様々な意見を聞いて、スタッフをまとめるために尽力してくれました。 田中先生は、急用で送別会には参加できませんでしたが、救命センターで働いていた経験から当科に足りないことを明確に指摘していただき、さらにレベルアップするための提案を頂きました。 また非常勤で来られていた関原先生、岡島先生も今年度いっぱいで当院での勤務が終了となります。 今まで多くのことをご指導いただきありがとうございました。そしてこれからも当科のことを温かく、時には厳しく見守っていて下さい。 先生方の新天地でのご活躍を心より願っております。

明保先生、ありがとうございました!

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昨年8月より当科にきていた明保先生の8ヵ月間の研修が今月末で終了しました。   明保先生は「天理よろづ相談所病院」から岡森先生、江原先生に続いて3人目の研修としてやってきました。 http://drheli-gunma.blogspot.jp/2015/08/3.html 何事も真面目に取り組む姿勢がとても印象的でしたが、自分のサインを「AKB」と書いていたり、微笑みながらなかなか厳しいつっこみを飛ばすなど、お茶目な一面も見せていただき、8か月があっという間に過ぎてしまいました。 また前の2人と同様に当科で学ぶだけではなく、多くのスタッフに考え方や知識を教えていただきました。短い期間でしたが本当にありがとうございました。 診療秘書さんにも大人気だったAKB先生! 奈良に戻ってもさらに活躍してください。またどこかでご一緒できる日を楽しみにしています!

人を育てる!~ICLSインストラクターコース受講~

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劉です。 ICLS インストラクターコースに参加してきました。 ICLSに関してはこちらからどうぞ https://www.icls-web.com/ 本コース の際はテストがあるとのことで焦って勉強したのですが、「 インストラクターコース はそういうのじゃないから大丈夫!」との神の声を聞きそのまま本番へ臨みました。 内容は普通のコースとは一風変わった内容で、いわゆる教育とはなんぞやから始まり、どのように人をほめ、どのようにしたら成長を促せるかといった教育論が中心でした。これは確かに中々うけない種類の講義でした。 講義のあとは実践をするのですがこれがまた難しい。というのも、自分の上司や普段一緒に働いている看護師さんたちがデモしているのを評価するなんて恐れ多いと思わずにはいられませんでした。 “人をほめるって、人を育てるって難しい”と改めて感じました。 一つまじめなことを言えば、教育はいわゆる研修病院が生き残っていくには必須のものと考えております。特に研修医の教育です。 研修医は病院の土台であり、パワーです。研修医のレベルが低い病院は相対的に地力がなく、パワーが足りない。だから上の先生がすり減っていくのだと思います。まず育てるべきは研修医なのです。自身も時に研修医には厳しくあたってしまいますが、それでも研修医が育たなければ病院が育たないという思いでやっております。 当院ではまだまだ変革せねばならぬことが山のようにあると思いますが、その中でも研修教育というのは大きなウェイトを占めているのではないでしょうか。 最後に日本人最強の教育者である松岡修造さんの言葉を借りて最後を締めたいと思います。 「一生懸命生きていれば、不思議と疲れない!」頑張りまーす!!

群馬県ドクターヘリ運航調整委員会にかかわる担当者変更のご案内。

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町田です。 いよいよ今年度も1週間を切りました。今年度いっぱいで当科を卒業される先生方の医局の空いた机に寂しさを覚えます。しかし4月から来られる先生方の挨拶メールなどをみると、いい形で新年度をスタートできるよう、年度末もしっかり心を引き締めていきたいと思います。 群馬県ドクターヘリ活動に関して、運航要領をはじめ運航に関わる約束事を最終的に決定する機関として『群馬県ドクターヘリ運航調整委員会』があります。実際にこの委員会は年数回の開催のため、さらにその下部に作業部会やワーキンググループ、実働グループなどを組織して、そこで実務者レベルで様々な案件に応じて話し合いを行い、最終的に委員会の許可を得て実行に移すことができます。(案件によっては決定権を委員会からその下部組織に降りてくることもあります。) 以下の『群馬県ドクターヘリ運航調整員会とその下部組織』を紹介します。 今年度から当院病院長が宮﨑院長(現名誉院長)から中野院長への引き継ぎとともに、運航調整員会の委員長も宮﨑院長から中野院長へ引き継がれました。 他の作業部会やWG(ワーキンググループ)は引き続き中野院長が引き継いでいましたが、本日開催された運航調整員会で各作業部会長は中村センター長が、WG長は町田が中野院長から引き継ぐこととなりました。 ドクターヘリ事業は様々な機関の方々により支えられており、各部会、WGのトップが変わっても今までの連携を大切にしさらに強化できるようによろしくお願いします。また現場でもっと活動しやすい環境を提供できるように尽力します。 ドクターヘリに関わる全国の皆様方には、これからも群馬県ドクターヘリ活動に対する叱咤激励のほどよろしくお願いします。

MIMMS群馬コースに参加しました。

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後期研修医の増田衛です. 先日, 3 日間で 2 種類の講習を受けました. ・ 3 月 4 日: 1day MIMMS(Major Incidents Medical Management and Support) ・ 3 月 5 日〜 6 日: Hospital MIMMS   ミムズと略されるこの講習では,災害時に我々医療スタッフはどのように行動すれば良いのかを学びます. 災害医療でよく聞くのは DMAT(Disaster Medical Assistance Team) や MCLS(Mass Casualty Life Support) といった組織や講習ですが,その概念は MIMMS が大元となっています.日本の災害医療の原点とも呼ぶべき講習を受けたことになります.   また,今回の講習費用は,群馬県庁医務課の予算から捻出されました.それぐらい,災害時に動ける人間を増やすことは自治体にとって喫緊の課題なのだろうと感じました.     1 day MIMMS は本来 3 日間かけて行われる MIMMS を 1 日に凝縮させたものです.災害現場において,医療組織が警察・消防など他の組織とどのように協力して動いていくかを勉強しました.短時間ながら中身は濃いものでした. MIMMS日本委員会ホームページより( http://www.mimms-jp.net/ ) Hospital MIMMS は,発災時に病院がどのように傷病者受け入れ態勢を構築すれば良いのかを学んでいくものです. 2 日間みっちり講義や机上訓練がありました.最後に筆記試験(マルバツ問題 100 問)を受けて修了しました. MIMMS日本委員会ホームページより( http://www.mimms-jp.net/ )     僕は救命・救急を志した人間として常々,災害発生時のような非日常状態において,事態の収束へ向けて慌てず行動できるようになりたいと考えています. そのための題材を多く学ぶことができ,非常に勉強になりました. イ ンストラクターの取得も検討し始めています.

103歳の誕生日!~本日3月23日は創立記念日~

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実は本日3月23日は前橋赤十字病院の創立記念日です。 当院は大正2年(1913年)に開院したので、今日で103歳となります。 ちなみに通常の病院業務はお休みで、土日祝日と同様に外来は高度救命救急センター対応となっています。朝から一般外来への問い合わせが多くなあり、お休みだと思っていなかった方々にはご不便おかけしますがご理解のほどよろしくお願いします。 ちなみに世間は普通の平日なので、当直明けの院内に雰囲気がちょっと不思議な感じです。 ちなみに休みは救急外来が忙しくなるので、救急医にとって病院の休みが増えることはあまりうれしくないこれもまた何とも言えない感覚です。 明日は通常通りに病院は営業しております。よろしくお願いします。

あれから7年半・・・~ドクターヘリ初出動の機体~

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町田です。 機体の都合により先週末から群馬県ドクターヘリの機種はいつものBK117C-2機ではなくMD902機で運航を行ってます。 現在群馬に来ている機番は「JA6914」ですが、群馬県の立ち上がりから活躍している「JA6910」に続いて特に思い入れが強い機体です。 機番:JA6914(機種:MD902) (参考) ・機種:車で言う車種に相当(プリウス、フィット、レガシー、など) ・機番:車で言うナンバープレートの番号に相当(高崎5OO ま XX-XX、札幌3OO さ XX-XX、など) 群馬県ドクターヘリではフライトドクター・ナースの育成を続けていますが、運航開始時はオープニングスタッフ候補が全国の基地病院にお邪魔させていただき、1~2週間の研修を行いました。 僕も2008年10月に日本医科大学千葉北総病院で研修をさせていただきましたが、この時はじめてドクターヘリで出動(そもそもヘリコプター初搭乗!)した機体がこのJA6914でした。ちなみに今回担当している機長もその時と同じ方です! 7年半前・・・若い(笑) 研修先の日本医科大学千葉北総病院。 「攻めの救急医療」の真髄を教えていただきました! この機体を見ると7年半できちんと自分が成長しているか?きちんと後輩の指導をできているか? あらためて身が引き締まる思いです。

川西赤十字病院への医師派遣②~充実した1週間を送りました!~

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小橋です。 星野医師に引き続き 2/15-2/20 に長野県の川西赤十字病院に診療支援に行ってきました。 川西赤十字病院は長野県佐久市にある 100 床くらいの病院です。救急病院である当院とは異なり、超急性期を過ぎた患者さんが転院してきたり、開業医からの紹介で受診する患者さんが多いです。 2/15 の佐久市は 22 ℃、この時期にはありえないくらい温暖でした(ちなみに 2 月の佐久市の平均気温は -1.0 ℃)。 しかし、翌日朝の気温は -8 ℃、フロントガラスが凍り、カーエアコンを 20 分くらいかけてからの出発。   勤務初日から 20 人以上の患者さんの主治医となり、外来診療(火・木・金)・訪問診療(火・水)・人間ドック(水)・当直(木)など、忙しい 1 週間を送りましたが、前橋で勤務している時とは違った時間を感じました。 豪華な検食もいただきました! 1 週間だけじゃなく、しばらくいてもいいかなーと思いました。   常勤医を募集しているそうなので、興味を持った方は応募してみてはいかがでしょうか !?

川西赤十字病院への医師派遣①~いつもと違う環境から学ぶこと~

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星野です。 1 月 31 日~ 2 月 5 日まで川西赤十字病院に派遣医師として行ってきました。 川西赤十字病院(所在地:長野県佐久市望月) は、計 83 床(一般病床 36 床、療養病床 47 床)の小規模な病院です。全国の日赤病院の中でも最も小規模な病院らしいです。 今までは非常勤として総合内科の先生が名古屋から派遣されてきていたそうですが、今年度からその制度がなくなり、1か月おきに各地の日赤病院から派遣医師が派遣されるようになったそうです。 前橋日赤は1週間交代で医師派遣することとなっており、トップバッターとして行ってきました。 日常業務は、入院患者(一般病棟: 10 人、療養病棟: 11 人)の管理。 週 3 回の外来、検診、救急車当番、遅番、当直です。 院内はすべて手書き運用!指示もオーダーもすべて紙ベースで動いています。久々にこんなに字を書きました。 院内は 2 階建てで、 1 フロアに一般病棟と療養病棟があります。療養病棟では点滴などが必要な患者さんを診られないので、一般病棟に転棟して治療します。師長さん、看護師さんも一般と療養で分けられており別々に運用されています。 また後方支援病院として、他院からの転院を受け入れたりもします。 急性期の治療が終わった段階での受け入れ、リハビリがメインだったり、施設入所前の患者さんが多いです。私たちが急性期を乗り越えた患者さんを他院へ送るような感じですね。普段と真逆の立場です。 内科外来も、普段できないことなので勉強になりました。血圧や血糖コントロールの手法は普段やらないことなので戸惑いましたが、いい経験になりました。 1 週間と短い期間でしたが、前橋とは全く違う環境で仕事ができて楽しかったです。この経験を生かしていきたいと思いました。 機会があればまた行きたいと思います。

群馬県ドクターヘリ事業2月度活動実績を更新しました。

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Web担当の伊藤です。 群馬県ドクターヘリ事業2月度活動実績をホームページに更新しました。 遅くなり大変申し訳ありません。 前橋はここ数日、真冬のような寒さが続いていますが、気象庁の前橋の桜開花予想は3月26日。 あと、10日しかありませんが、とても寒くて桜が咲くような気配がありません。 筆者が群馬県に移ってきて今年で8年目になります。来たばかりの時は土地勘が全くなくて、どこにどんな名所があるのかもわかりませんでした。 最近になって前橋の桜の名所として赤城南面千本桜という場所があるのを知りました。 え?赤城って前橋なの? ・・・くらいなレベルの土地勘ですが、1,3kmの距離に咲き誇るその千本桜がある市道の住所は前橋市苗ヶ島町。 たしかに前橋市です。 というわけで、栄えある「日本さくらの名所100選」に輝くという、前橋市の赤城南面千本桜まつりの今年の開催日は4月2日〜4月17日だそうです。 たまには休日に足を伸ばして自然に触れてみませんか? というのは自分への問いかけだったりしますが(笑) 他県の皆様も、ぜひ、群馬の桜の名所へお出かけください。 写真と本文は関係ありません。

『第21回日本集団災害医学会総会・学術集会』に参加しました。

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町田です。 2月27-29日に山形ビッグウイングで開催された 『第 21 回日本集団災害医学会学術集会』に参加しました。 当院からの参加は以下の通りです。 ・中野院長: 座長 ・中村センター長: 座長、ポスター発表 ・ 高橋先生: 座長 ・高寺師長: 座長 ・町田:口演 発表 発表 ・中村センター長:搬送  『地域医療搬送における空路搬送』 ・町田:実災害報告  『 TTT の最後の「 Transport 」こそ災害対応収束の大きなカギとなる』   <1日目> 様々な残務があり群馬を出たのが昼過ぎであったため、山形到着は夜でした。 この日は学会には参加できませんでしたが、夕食でホテルの目の前のお店に一人で入ったところ愛知の知り合いの方々がいらっしゃって一緒に食事をすることとなりました。 災害関係の仕事の関わると全国に知り合いができるメリットをあらためて感じました。 ちなみに学会初日はサンドイッチマンの熱いトークとコントで大いに盛り上がった模様です。 < 2 日目> 会場が市街地から遠かったのですが、山形駅から無料シャトルバスが準備されていました。会場もかなり広くマスコミも多く来ており、震災から 5 年の節目で東北地方での初開催に地元の本学会への期待を強く感じました。 個人的には東日本大震災後の被災地の現状などのセッションを中心に聴講していました。そのなかで特に興味を持ったのは「 岩手県が県を挙げて特にソフト面の強化を図っている」という内容でした。特に公立小中学校では復興教育(「いきる」「かかわる」「そなえる」)を進めているという話にとても感銘をうけました。 < 3 日目> 自分の発表がありましたが、それ以外に全国で頻発している局地災害の実際の対応について全国の皆様の発表を聞かせていただきました。やはり災害対応は 各災害対応の経験から学ぶことは多いことを実感しました。僕が発表した中でも群馬県統合型医療情報システムはかなり好評をいたdあき、逆に当院が 災害対応・訓練・研修でそれなりに活躍しているわりには参加者が少なかったのが残念に感じました。 今回の学会では山形県をあげたおもてなしに感動することばかりでした。『おいしい山形』がキャッチフレーズのようで、アンケートのこたえると

医療人として大切なこととは?~ある病院での話・・・~

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町田です。 一昨日に石巻での再会の集いと被災地めぐりの話題をアップさせていただきました。 今回はその中でも1ヵ所について心に強く残った話を伺う機会があったので、そのことについてちょっとだけ書かせていただきます。 皆さんは「石巻市立雄勝病院」の震災による被害のお話を知っているでしょうか? http://www.kahoku.co.jp/special/spe1114/20130103_01.html この写真の場所に病院がありました。いまはほとんど訪れる方もかなり少なくなっているとのことです。ここでは津波により入院患者は40人全員、職員は病院にいた30人中24人が死亡または行方不明になりました。今回「語り部」をかっていただいた方の同僚もお亡くなりになったそうです。 災害医療において安全の優先順位は「1.self、2.scene、3.survivor」です。自分自身を守れないと救助者を増やすだけになってしまいます。しかし自分から災害現場に行く状況とはことなり、患者さんが目の前にいる前で危険が迫っているときに自分がどう行動するのか?この場所に来るたびに強く考えさせられます。 震災遺構に関して「残す?残さない?」の議論が様々な場所で話題に上がります。僕からどちらがいいといえる立場ではありませんが、いろいろまわった印象として何もないところには誰も来なくなってしまうことを感じました。ちなみにこの雄勝地区の人口喪失率は震災前の75%とのことです。 この場所もそれ以外の地域でも病院が大きな被害を受けたニュースは震災直後に時々話題に出ていましたが、5年たって多くの患者さんや病院スタッフの命が失われたことは時として忘れられている気がします。少なくとも同じ医療者として病院スタッフが命を落としてしまったということはとてもショッキングなことであり、また医療人として「患者さんを置いていくことはむずかしいのでは?」と悩んでしまいます。 答えはきっと出せないと思いますが、最後まで患者さんのために尽くした仲間たちがいたことを心に刻み、命あることにあらためて感謝してこれからも自分、家族、仲間、そして患者さんの命と向き合っていこうと思います。

5年ぶりの再結集!~石巻再会の集い&被災地めぐり~

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町田です。 東日本大震災から5年がたちましたが、被災地にいらっしゃった方はもちろんですが、被災地外から被災地に災害救護活動に入った人々もいろいろな思いをもって過ごしていたと思います。 被災地に寄り添いたいという気持ちから「被災地に足を運びたい」という思いを持っていても、距離・時間・平時の勤務状況などから実際には近くて遠い場所になったりしているのです。 今回はやや個人的な話になってしまうことをお許しください。 僕は東日本大震災における災害救護活動において、日赤初動救護班(DMAT)で「石巻市立病院」の病院避難活動に参加しました。 石巻市立病院は地震直後の津波によって病院周囲が水没してしまい、ライフラインが全滅した環境に患者さん150名、病院スタッフ・近隣住民あわせて450名が取り残されました。その病院の患者さんの避難は地震から3日目にようやく始まり、本格的な患者さんの避難は3月14日に行われました。僕自身は3月14日に石巻市立病院に入り、そこで約24時間の活動を行いました。 活動の詳細はここでは書きませんが、食料もほとんどない中で患者さんとともに残った病院スタッフの方々のとにかく献身的な姿に涙があふれた記憶があります。そしてそこで活動したりそこでの活動を支援していただいたDMATの結束の固さはいまでもとても誇りに感じています。 そこでのDMAT活動が終了し病院スタッフと別れる時に「必ずこの地で再会しましょう!」と約束しました。 そして5年たって・・・  暖かいおもてなしで迎えてくださった石巻市立病院スタッフの方々と 全国から集まったDMAT隊員との「再会の集い」が開催されました。 今年3月5日に石巻市で市立病院スタッフとDMAT隊員の再会が果たされました。今回は病院スタッフ4名とDMAT隊員8名が集まりました。またDMAT隊員についてはこの活動に関わった20名を超すすべてのDMAT隊員の方々から連絡を頂きました。5年たってもこのようにつながっていることは、とてもかけがえのないものだと感じました。 また日和山から病院跡地を眺めたり、実際に病院跡地に足を運んで5年前のことを思い出しながら、これまでの現地の復興状況の大変さ、自分たちが5年間をいかに過ごしたかを考え直しました。 また3月6日は「被災地めぐり」を行い