茨城県大雨被害(関東・東北豪雨)災害対応の活動報告② 『日赤災害医療コーディネートチーム』

町田です。
気が付くと9月も最終日を迎えました。つい先日には与那国島を風速80キロを超える強風が襲ったとのニュースがあり、日本は自然災害と常に隣り合わせであることをまざまざと感じています。


先の関東・東北豪雨における当院の災害救護活動について、前回は星野先生より茨城県での『日赤医療救護班活動』について報告がありました。
今回は町田より同じく茨城県内で『日赤災害医療コーディネートチーム』としての活動を報告します。
今回堤防が決壊し氾濫した鬼怒川。


僕自身は9月19-21日は全国赤十字救護班研修に参加予定でしたが、今回同じ日程で茨城県常総市内に設置された日赤災害医療対策本部医療コーディネート本部の本部長に拝命され、9月19日早朝5時過ぎに萩原看護師、唐澤主事とともに病院を出発しました。
当院の場合は災害救護に派遣した際に現場活動よりも本部活動につくことが多く、今回は最初から本部活動ということがわかっていましたが、現地での日赤の活動の統括としての立場としてかなり緊張感をもって向かいました。

 実際に水海道総合体育館に設置された本部に行くと、前任の先生よりほぼ1日かけて現状報告と現地の様子を実際に目で見て回りながらご教示いただき、また本部として交渉する際に大切なカウンターパートナーもしっかり決まっている状況でしたので、まだまだコーディネーターとしての経験値が低い僕にとって本当に僕たちのチームがやるべき方針がとてもはっきりすることができました。本当に那須赤十字病院の長谷川先生のご指導に心より感謝いたします。
この時期の活動においてはコーディネートチーム自らが
実施に現地の様子を直接目で見ることが大切です。
災害救護の場合はどうしても急性期での対応ばかりに目が行きがちですが、特に今回のような局地災害の場合は、皮肉にも川を1本わたってしまえば通常の地域が広がっていつこともあり、「いつまで救護所を展開していくか?救護所の撤収をいつにするか?」という活動の収束に向けての調整というこれもまたとても大切な時期での活動となりました。
救護班や救護所がいつまでもいることは被災地の方々にとって安心感を与えることができることは間違いないと思います。しかし地域の医療が回復してきたり、また周囲の医療が行われている状況においては、その地域の医療の回復の足かせになってしまう場合もあります。回復を早めるためにも適切なタイミングでの救護所の撤収が必要です。

ただし救護所1箇所を撤収するだけでも、その地域の避難所の状況・救護所のニーズの調査、地元医師会・基幹病院・市役所・保健所との調整を行い、そして最終的に日赤現地災害対策本部より日赤東京都支部に報告し最終指示を頂く流れが必要です。
一つのものごとを動かすたびに必要なカウンターパートナーと毎回このような連絡が必要ですが、何度も何度も丁寧に調査・調整することで被災地の方々に心配を残すことなくこちらのミッションも進めることができます。
①.本チームが活動期間中に閉鎖することtなった救護所。
②医師会や市役所と調整し、市役所内の救護所と統合。
自分が本部長であった3日間ではそこまで大きな動きはありませんでしたが、本部要員、実際に現場で活動している医療救護班の方々と協力しながら、長谷川先生から引き継いだことをさらに具体的に調整して、21日夜に次の本部長である長岡赤十字病院の内藤先生に引き継がせていただきました。
その後の調整で25日には医療救護班、救護所は常総市での活動を終了しましたが、日赤こころのケアチームの活動は現在も現地で活動継続中となっています。


今回の活動に当たっては現地や東京都支部との調整をいつもはかっていただいた日赤茨城県支部をはじめ本部要員としてともに活動した各県支部職員の方々のサポートが何よりも心強かったです。そしてお忙しい中で何度も面会や電話連絡していただいたきぬ医師会会長・副会長をはじめ多くの先生方、市役所の担当の方、そして病院の災害対策本部、群馬県支部でバックアップしていただいた職員の皆様に心より感謝します。そして何よりも緊張と不安に襲われていたチームリーダーをいつも支えてくれた萩原看護師、唐澤主事の存在が何よりもありがたかったです。
何よりも心強い存在であった日赤茨城県支部をはじめ
各県支部職員よる本部要員の方々!
早朝から夜中まで3日間ともに戦った
萩原看護師、唐澤主事!

 いまだ避難生活が続いている方もいらっしゃいますが、1日でもはやい被災地の復興を心より祈っております。

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