東日本大震災から3年がたちました。~石巻からの報告②~

町田です。

今日で東日本大震災が発生してから3年目を迎えました。3月10日の時点で死者1万5884名、行方不明者2633名、災害関連死3048名(警視庁、毎日新聞社まとめ)とのことです。行方不明になられた方々が早くご家族に戻れることを願い、亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。

3年前の今日、前橋赤十字病院では大規模災害対応を学ぶMIMMSコースが開催されていました。また、個人的にはドクターヘリ当番でしたが強風のため群馬ヘリポートの格納庫内にいました。
14時46分に格納庫がギシギシ傾くほど揺れて、その後は病院と一切連絡が取れなくなったことを覚えています。被災地に出動するかどうか?県内の状況はどうなのか?と悩みながらもほとんど動くことができず、格納庫内でただただテレビを見ることしかできませんでした。その当時同乗研修をしていた初期研修医が「早く逃げて!」とテレビに向かって叫んでいたり、機長が「空港がやられた・・・」と肩を落としていたのを覚えています。
今日はその時テレビの映像で流れていた名取市の沿岸部や仙台空港を見渡せる場所で14時46分を迎えました。この2日間石巻から名取の沿岸部を中心に案内していただいた石巻市立病院開成仮診療所のスタッフの方とともに黙祷をさせていただきました。
ここに住んでいる方の希望で震災遺構となっている建物です。
後ろには復興した仙台空港が見えました。
 
 



毎年3月に石巻に足を運んで今回で3回目になりました。被災地に行って自分の目で見て耳で聞くことで、その変化を感じることができます。僕が活動した石巻市立病院の跡地の周囲はすっかり更地になっていました。でもその近くで創業100年を超える鰹節屋さんがお店を開いていたり、若いシェフの方が復興マルシェで地元の海の幸を提供していました。


今回は本当に被災地に行って何かをしたわけではありません。でも行った先では「忘れないできてくれてありがとう!」という言葉をかけていただきました。
僕は救急医になり初めて対応した災害が東日本大震災でしたが、今までも北海道南西沖地震、阪神淡路大震災、中越沖地震、中越地震、また毎年台風や雪害などであらゆる方々があらゆる形で災害に携わってきていると思います。少なくても自分が携わったことに対して「忘れないこと」、そして「伝えていくこと」が大切であることを強く感じました。
 
 
<石巻市立病院とその周囲の3年間の変化>
 


 左:2011年3月14日 右:2014年3月11日
 
 
震災1週間後の景色(日赤医療センター 林先生からのご提供)
震災2年後の景色(朝日航洋 大槻さんからのご提供)
震災3年後の景色

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